未練はたらたら

もう発症して半年の壁を迎えてるから焦って回復を目指すのは諦めろみたいに言ってくる人がけっこういるけど、 なんでそんなこと言われなきゃならんのか意味がわからん。まだまだぼくは左手を使うことや普通に歩いたり走ったり、仕事することに未練たらたらなんだよなぁ

大事なことは目には見えない

最近はちょっと体調を崩して入院しているのだけど、
そうはいってもただ寝ているわけにはいかず、今後仕事になるかもしれないことへの種まきで大忙し。 こんな状態でやれることなんて限られてるけど、少しでも考えていないと不安で潰れそうになるから。リハビリの意味も込めていろいろ考えている。
大忙しという割には、たいしてお金にはなっていない。
こうゆうのを貧乏暇なしというのだろう。
でも、心はわりと豊か。それは、本当はボクがお金持ちだから(笑)。

開き直りでも、言葉のトリックでもなんでもない。
つまり、目の前に形になっているお金以外の、
目に見えないお金のお金持ちという意味である。
目に見えないお金は、まず人との関わりをどれだけ持っているか、
それってきっと、目先のお金の価値ばかりを追わないことで
知らず知らずのうちに得られるものだと思う。

いやね、現実は貧乏ですよ。とほほって、言いたくなるくらいね。
でも、目に見えないお金の貧乏には、死んでもなりたくない。
ここが本当に貧乏になっちゃうと、どんなに現実のお金持ちでも、
貧乏臭く見えるから不思議なものだ。

…というようなことを、なぜ考えたかといえば、
先日、親しい仕事仲間ふたりと、もしかしたら今後仕事に繫がるかもしれないけれど、
今のところはまったく未知数なアイデアについての話をしたから。

今の我が家とも言える病院の部屋に集まったのは、ウェブ広告などを扱う会社のJさん、

いつもお世話になってた優秀なメディアプランナーでプロデューサーのMさん、そしてボク。
あれやこれやと他愛のない話の中から、
最近それぞれが気になっている社会の動きなんかを話し合う。
こうゆうことを話せる友人や知り合いがいる、
これぞまさに目に見えないお金持ちだと思ったのだ。

ぼくはもう会社に属してるわけでもなく、
結局のところボクの業務に関しては誰かが助けてくれるわけではなく、
基本はひとりで仕事をしているわけだから、
時々どうしようもなく不安にかられることもある。
煮詰まって、新しいアイデアが出てこなかったり、
狭い概念にとらわれることもある。
そんなとき、こうしたフリー稼業を営む友人がいてくれることは、
仕事を超えたところでの大きな心の支えとなる。

この状況で世の中と向き合うということ

今まではいろんなことに関わりすぎたり首を突っ込みすぎたりして選択肢が多すぎて何をどうすればいいのか自分でもわかってなかったのかもしれない。でも今こんな体になって、今の自分でもできることを考えてやっていかなければならないと考えているある意味、限定された視点や状況で世の中と対峙することで見えてくるものがあるかもしれない。しかもこんな状況のじぶんだからこそ説得力があることがなにかあるのかも。